マネバナナ

アーリーリタイアを夢見るアラフォーママが好きなことを好きなように書いています

『遊びが学びに欠かせないわけ』私の子ども時代にはあったけど、今の子どもたちにはないもの。

 

 『遊びが学びに欠かせないわけー自立した学び手を育てる』を読みました。

けっこう読むのが大変で、途中3冊も別の本に浮気してしまいました。笑

 

目次

 

内容

著者の息子が学校で問題行動を起こすようになったことをきっかけに、子どもにとっての「遊び」「学び」について研究。

その結果をまとめたのが本書。

 

人間は遺伝子的に狩猟採集民である。

彼らの子どもたちは、たくさんの大人たちがしている狩猟採集以外の活動を遊びの形で真似をして習得していく。

幼児の世話、木登り、つるの梯子作り、小屋作り、道具作り、いかだ作り、火起こし、料理作り、見せかけの肉食動物の攻撃から身を守ること、動物たちの真似をすること、音楽作り、踊り、物語を話すこと、言い争うことなどを。

彼らの遊ぶ時間は無制限で、遊ぶ時は子どもたちだけ、年齢層はさまざま。

この「時間は無制限」「子どもたちだけで」「年齢層はさまざま」というのが、社会的スキルと価値観を学ぶための重要なポイントである。

彼らが遊びを続けるには、互いが対等で、全員のニーズと欲求を満たす形でなければならない。

そうでなければ、誰かが遊びから離脱し、その遊びは継続できなくなってしまうから。

人間の子どもたちはこのようにして、遊びからたくさんの学びを得てきた。

 

しかし、「学校」という制度ができて以来、子どもたちの遊ぶ環境は変化していった。

学校の始まりは、子どもたちを矯正するための施設。

学校はプロテスタントの改革主義者たちによって立ち上げられたもので、子どもたちの意識をプロテスタントの教えに一致させるために、子どもたちは学校に行くことを強制された。

その根本的な考えが今の「学校」にも残っている。

「子どもは無能で、信頼に値せず、強制されることが必要な存在で、学校の矯正力によって、社会のリーダーが好ましいと考える人間に子どもをつくり変える。」ことが学校には求められているのである。

 

著者がそのように考える理由として、強制された教育制度の7つの罪をあげている。

罪1 正当な理由も適正な手続きもなく、自由を否定している。

罪2 責任能力と自主性を発達させる妨げになっている。

罪3 学びの内発的動機づけを軽視している。

罪4 恥ずかしさ、思いあがり、皮肉、不正行為を助長する形で生徒を評価する。

罪5 協力といじめの衝突。

罪6 クリティカル・シンキングの禁止。

罪7 スキルと知識の多様性の減少。

 

本書では、なぜこれらが罪なのか、本来の子どもにとっての学びとはどういうものなのか、「学校」という場をどのように変えていくべきなのかといったことを、研究結果をもとに解説している。

 

感想

 

本書を読んだ一番の感想は「しんどかったー!!!!!」です。

ちょっと想像していたものとは違ったうえ、私には最初から最後まで単調な内容に感じられました。

興味深い部分ももちろんあったし、今の学校制度の問題点や、子どもたちが自由に遊べる環境がなくなってしまったことは本当にその通りだと私も思うのですが、ただひたすら「遊びが学びに欠かせないわけ」が綴られていて、読むのに飽きてしまいました。

 

それでも最後まで読み終えて思ったのは、「じゃあ、日本で娘を育てるにはどうしたらいい?」ということ。

子どもの遊び場の減少や学校制度の問題点はわかった。

子どもたちに本来必要な「遊び」の環境がどんなものかもわかった。

だけど、それを実践する場がない。

 

本書によれば、子どもたちには自己教育力があり、それは

・異年齢の集まりで遊ぶ

・大人の監視なく、子どもたちだけで遊ぶ

・評価や報酬がない

ことで発揮されるそうです。

 

自分の子ども時代を思い返すと、当時の私の遊びにはこれらがそろっていました。(学校での活動をのぞく)

私は10歳まで団地で育ったので、異年齢の子どもたちとよく遊んでいました。

当時も変質者等はいましたが、子どもたちで遊ぶことが許されていました。

もちろん、遊びの中には大人による評価や報酬はなく。

そうした遊びから得たものは、確かに大きかったと思います。

屋根の上に上ったり、木登りをするときは、自分の運動能力と相談しながら自己責任で。

小さい子には自然と手加減し、みんなで楽しく遊べるように配慮する。

人との関わり方ややり抜く力など、たくさんのことを遊びから身につけました。

 

でも今は、子どもたちだけで遊ばせるなんて心配でちょっとできない。

そもそも家の周りに子どもがいない。(おじいちゃん・おばあちゃんばっかり)

近所付き合いがなく、どこの家に子どもがいるのかも知らない。

遊ぶ場所がないから子どものスケジュールは習い事でいっぱいで、学校のお友達と約束して遊ばせることも難しい。

著者の言う環境を用意してあげるにはハードルが高すぎます。

 

著者自身もそのことはわかっていて、最終章でその改善策を綴っています。

①親自身が自分の価値をあげる

②自分が子どもの未来を左右するという考えを捨てる

③子どもの活動を監視したいという誘惑に耐える

④子どもが遊べて探索できる安全な場所や機会を見つけるか、作りだす

⑤従来の学校に代わる別の可能性を考える

 

①~③は親の意識の問題なので、頑張ればできるかもしれません。

⑤もホームスクーリングを検討するなどして改善できるかもしれません。

でも④はなかなか難しい…。

「子どもが遊べて探索できる安全な場所や機会を見つけるか、作り出す」

これは、本書を読んだ私の宿題です。

なかなか難しい課題ですが、考えてみようと思います。

 

 

 

 

 

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