引用:『マチネの終わりに』公式サイト
映画『マチネの終わりに』を観ました。
あの長編小説を2時間の映画にまとめる難しさはわかる。
多少ストーリーが変わってしまうのも仕方ないと思う。
でも、「原作の良さをここまで削れるってすごい!」って思うほどに、脚本がお粗末でした。
あんまり辛口レビューって書くの好きじゃないんですけど、ちょっと吐き出さないと耐えられないくらの内容だったので書きます。
「酷評書くくらいなら、感想書く時間を他のもっと有意義なことに当てろよ。」って思う方は、ここから先は見ない方がいいかもしれません。
読む時間も無駄になりますので…。
目次
あらすじ
世界的なクラシックギタリストの薪野聡史は、公演の後、パリの通信社に勤務するジャーナリスト・小峰洋子に出会う。
ともに四十代という、独特で繊細な年齢をむかえていた。
出会った瞬間から、強く惹かれ合い、心を通わせた二人。
洋子には婚約者がいることを知りながらも、高まる想いを抑えきれない薪野は、洋子への愛を告げる。
しかし、それぞれをとりまく目まぐるしい現実に向き合う中で、薪野と洋子の間に思わぬ障害が生じ、二人の想いは決定的にすれ違ってしまう。
互いへの感情を心の底にしまったまま、別々の道を歩む二人が辿り着いた、愛の結末とはー
感想
映画『マチネの終わりに』を観て思ったことは3つです。
①原作の良さがここまで完璧にそぎ落とされた映画は初めて見た。
②この映画の脚本を書いた人は、ちゃんと原作を読んだのかな?
③原作の著者である平野啓一郎氏はなぜこの脚本にOKを出したのか?
つまりは脚本がひどいということです。
原作『マチネの終わり』の輪郭となる部分がすべてそぎ落とされていました。
洋子の父親が作った映画「幸福の硬貨」の時代背景、洋子の生い立ち、洋子の母親のことなどなど。
出会ったばかりの2人がなぜか惹かれ合ってしまう2人だけの世界観や、聡史と洋子がそれぞれ抱える苦悩さえも。
完全に剥ぎ取られているわけではないのですが、すべてを軽ーく扱うことで2時間以内に収めようとしたのか、結局何も伝わらないという結果を招いています。
ただ展開が速いだけで中身が全くありませんでした。
一番嫌だったのは、聡史と洋子がすれ違ってしまった後の人生の描き方。
原作では2人が邪魔者の策略によって別れてしまった後も、しっかり自分の人生を生きて輝いていました。
だからこそ最後の再会のシーンが生きてくるのに、映画では2人とも不幸のどん底に落ちているところが長く描かれていて、最後の再会シーンに全く感動も何も感じない。
特に洋子。
ただの悲劇のヒロインになっていて納得いかなーい!
あと、2人を引き離した邪魔者が最後は良い人に描かれているのも違和感たっぷり。
他にも言いたいことがたくさんあるのですが、書いていて気持ちの良いものではないので、この辺にしておきます。
1つだけ言っておきたいのは、俳優さんたちは悪くないということ。
もちろん原作を読んだ者としては、「この役はこんなイメージじゃなかった…。」と思った部分はあります。
でも、そこを指摘するのは違うかなと思うので。
私のイメージが正解ではない。
人それぞれ登場人物の捉え方は違いますものね。
ダメ出しばかりでレビューを終わらせるのは私としても気持ちが悪いので、映画を観て良かった部分も書いておきます。
①劇中のギターの音色が素敵でした。
これは小説では感じることが出来なかった部分です。
映画だからこそ耳でも楽しめました。
②石田ゆり子さんが美しかったです。
特に、パリで薪野聡史と食事をするシーンと、ニューヨークでのパーティーシーン。
その美しさに目を奪われました。
パリやニューヨークの景色も少し楽しめましたが、あまり際だってはいませんでした。
残念。
今回の映画の感想は、私が原作を読んでいるからこそだと思います。
原作を読んでいない方が映画『マチネの終わりに』を観たら、私とは違う感想を抱くかもしれません。
実際、ネットの口コミを見たら高評価の方も結構いました。
これから『マチネの終わりに』を観ようと楽しみにしていたのに、このブログを読んで観る気が失せてしまったという方がいたらごめんなさい。
あくまでも私の感想と思って流してもらえると嬉しいです。
原作の感想も書いています。良かったらぜひ。↓