『モンテッソーリの幼児教育 ママ、ひとりでするのを手伝ってね!』を読みました。
モンテッソーリ教育の本を読むのはこれで6冊目くらいになると思いますが、それでもまだ学ぶことがあるから不思議。
今回も冒頭からドキッとすることが書いてありました。
目次
内容
就学前の子どもは、小学校に入ってからの勉強や生活がよくできるために、ぜひともしておかなければならない課題を持っている。
その課題は自然が幼児期の生命そのものに課していることなので、子どもは自分の全存在をかけてやり遂げなければらない。
しかし、母親はその課題に無関心であるばかりか、それを妨害してしまうことが多い。
そして、この時期の子どもを育てる大人にもまた、2つの課題が自然から与えられていることを忘れてはならない。
一つは、子どもが自分で成し遂げなければならない宿題を自然からもらっていることを見極め、それに立ち向かっていくのを助ける義務があること。
もう一つは、自分の考えや力で子どもを支配するのではなく、自ら生きようとする生命に仕えること。
自然から与えられている課題を成し遂げるために、子どもには「敏感期」と言うものがある。
敏感期とは
・生物の幼少期に、ある能力を獲得するために
・環境中の特定の要素に対して
・それをとらえる感受性が特別に敏感になってくる一定期間である
という3つのポイントをおさえたもの。
発育中の生物が幼少期にだけもつ独特の強い生命力で、自然が定めたプログラムに従ってさまざまな形で順を追って現れ、自然から与えられたその時期その時期の課題を成し遂げさせる原動力となるものである。
敏感期を逃すことは、終バスに乗り遅れるか、編み落としの目をつくるようなもの。
あることを習得するために内面から強烈なエネルギーがあふれてくる一回限りのチャンスを利用しなかった損失は決定的なものとなる。
敏感期にすべきだったことを後でしようとすれば、数倍の苦労をし、心理的にもつらい思いをしなければならないうえ、うまく習得できないという結果になる。
就学前の子どもの敏感期は以下の通り。
〈3歳までの主な敏感期〉
①吸収する
3歳まではさまざまな印象を内面に貯める。
そのため、3歳までに美しい言葉や音楽、いつも愛されているという確かな安心感、安定した雰囲気、豊かな文化や自然が身辺にあることが望ましい。
②秩序感
秩序感には3種類の異なる性質がある。
・外界への秩序感ー場所、順序、所有物、習慣、約束に対して現れる
・体内の秩序感ー運動をするのに作用しあう体の諸機能を感じ取り見当をつける感覚を養う
・精神の秩序感ー集合したり分類したりして秩序立てる(色、大きさ、臭い、触感等)
〈3歳から6歳までの敏感期〉
①感覚の洗練
視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚などの感覚器官を通してとり入れる。
②筋肉運動の調整
身体全体を動かす、バランスをとる、手首や腕を使う、指先を使うといったことを通して調整する。
本書では、これら子どもの敏感期について詳しく解説しているだけでなく、敏感期の子どもの見方、モンテッソーリ教育によって生じた子どもの変化、自宅でできるモンテッソーリ教育の方法が紹介されている。
感想
冒頭にドキッとすることが書いてありました。
以下は本書の「はじめに」を引用したものです。
このごろの子どもの手が不器用になったことを調査した先生が、日本教育学会で発表されたときに聞いたことです。
ある幼稚園児が自分で顔が洗えない。両手で水をすくうことも、顔まで水をもっていくこともできないという不器用さ。
驚いた先生が、「おうちで、どうやって顔を洗ってるの?」とたずねますと、こう答えたそうです。
「あのね、ママがね、タオルをぬらしてね、電子レンジに入れてね、チーンと鳴ったらね、タオルが温かくなってね、それでママがふいてくれるの」
なぜドキッとしたか?
これ、私が毎朝娘のためにやっていることだからです。
0歳からの習慣なので、何の疑問ももたないまま続けていました。
いつまで続けるかも考えず。
娘はまだ1歳です。
自分で顔を洗うのは難しい。
そう思い込んでいました。
でも、あと3ヶ月もすればれば娘は2歳になります。
そろそろ自分で顔を洗うことを教えた方が良いのか?
本書を読んで初めてそんなことに気が付きました。
モンテッソーリ教育の本を読むのはもう6冊目ぐらいになると思います。
だから、書いてあることは既に知っていることが多かったです。
敏感期のことも、子どもの見守り方も。
教具を使った教育は取り入れていませんが、モンテッソーリ教育の知識は娘を観察する時によく使っています。
それでも本を読めば毎回こうやって何か気づきがある。
今回は娘の洗顔問題に気づかせてもらっただけで、本書を読んだ意味はあったなと思いました。
どんなに知識を吸収しても、その知識をもって自分の行動を振り返ってみなければ、自分の行動や言動の間違いに気づかずに知識が活かされないままになってしまう。
当たり前に続けていることは、その意味を問うことなく続けていることが多いです。
今一度、娘に対する自分の言動・行動を振り返る必要があるなと本書を読んで思いました。
それともう一つ、本書を読んで思ったことがあります。
それは、モンテッソーリ教育の知識は知りすぎると自分を苦しめてしまうということ。
娘は今、「吸収する」ということを全力で成し遂げている敏感期です。
保育園へ向かう途中、歩きながらいろいろなことに興味を示し、あらゆるものを触りたがります。
その中にはポイ捨てされたペットボトル、たばこの吸い殻、犬の糞など絶対に触って欲しくないものも…。
娘の気持ちやその行動の意味はわかっていても、どうしても「それはダメ!」と言わざるを得ない。
苦しいです。
しかも、朝は時間がない。
娘の興味を示すものすべてに付き合うことはできないのです。
本書を読んでいる間、それが辛くて。
モンテッソーリ教育の知識は子どもを育てるうえでものすごく参考になります。
この考え方を知っているだけで、子どもを見る目が変わる。
むやみに怒ることがなくなる。
でも、時間のない生活を送っている私にはちょっと耳が痛い。
私だって別に言いたくて「ダメ!」って言っているわけではない。
本当はとことん娘に付き合ってあげたいと思っている。
そう言い訳しながら日々を過ごすのが、ちょっと息苦しく感じてしまいました。
何事もほどほどに。
書いてあることを実践できなかったら、他のところでリカバリーを。
そんな気持ちでモンテッソーリ教育は取り入れていこうと思いました。
マンガ版もあるようです。
サクッと読みたい方にはこちらがおすすめ。