『お母さんの「敏感期」ーモンテッソーリ教育は子を育てる、親を育てる』を読みました。
モンテッソーリ教育関連の本はこれまでにも読んでいるので、知っていることがほとんどでした。
でも、「知っている」けど「できていない」ことがあることを実感。
本を読んでも行動を変えられていなければ、本を読んだ意味がない。
もっと自分の思考・行動を客観的に見なければいけないと感じました。
目次
内容
著者は日本のモンテッソーリ教育第一人者である相良敦子先生。
モンテッソーリ教育において重要な意味をもつ子どもの「敏感期」。
「敏感期」とは、長い生涯を生きていくうえで必要なものを獲得するために、特別に感受性が敏感になる時期のことを言う。
子どもがこの敏感期にある場合、母親もまた、親としての初期の時期にあたり、「母親の敏感期」と言えるのではないか。
著者はこのように考え、本書では子どもの敏感期と、その時期をともに過ごす母親の、子への関わり方について解説している。
感想
モンテッソーリ教育関連の本を読んだのは4冊目くらいでしょうか。
かなり知識が付いてきたようで、知っていることが多かったです。
ただ、さすがは日本のモンテッソーリ教育第一人者である相良敦子先生の本。
今まで読んだモンテッソーリ教育関連の本の中で一番詳しく、そしてわかりやすく書かれていました。
特に敏感期の説明は事例も解説も豊富。
敏感期の子どもに見られる行動についてはもちろん、敏感期の子どもに対して親がどうあるべきかまで詳しく書かれています。
その中で心に響いたのは、〈子どもは自らの目でしっかり見て、「動き方」を学ぶ〉という言葉。
「動き方」を身につけることは、「学び方」を身に付けることでもあるそうです。
幼児期に「学ぶ力」を身に付けさせたいのであれば、「どう動けばいいか」を自分で学び取りたい「運動の敏感期」に、子どもが自分で「動き方」をよく見て、自分で取り組めるような機会をたくさん提供することが大切。
計算や文字書きを身に付けさせたり、「子どものために」と親が何でもやってあげたり、便利な道具や機械を買い与えたりすることは「学ぶ力」を身に付けさせることと逆行していると著者は言っています。
これは今までに読んだ多くの子育て本にも書いてあったこと。
先日読んだ『子どもの目が輝くとき』でも、同じことを著者が力強く主張していました。
わかってはいる。
理解はしているのです。
でも、今は本当に便利なものが溢れた世の中。
ついつい「おもちゃで知育を。」とアンパンマンのことばずかんのようなものに頼ってしまう自分を反省しました。
「 これはこれで、娘が喜んでくれたから後悔はしていませんが…。」とまた、自分を甘やかす。笑
勉強になった点もありました。
第四章の「自律と自立」について。
「自立」は日本に馴染みの深い考え方で、親が子どもに一番に求めることと言えます。
しかし、著者は「自律」がなければ「自立」はありえないと言います。
では、「自律」と「自立」の違いは何か?
本書の中で著者は「自律」を
・自分の頭でよく考え(知性を働かせ)
・自分のからだ(感覚器官や運動器官)をよく使い
・自分のやりたいことを自分で追及したり展開できる力
と定義し、「自立」を
・自分の奥深いところになんらかの自信・確信・安心が生じる。
・周囲の人や物と安定した関係をもつことができる。
・自分で決めたり、選んだり、責任をとることができる力がある。
と定義しています。
「自律」を育てるには知性の働きが不可欠だそうです。
幼少期の子どもに見られる知性の働きは
・分類したり、結合させたりする。
・A<B<Cのように系列化する。
・空間とか図形の性質にそって、連続させたり、隣接させたり、包囲したりする。
といったもの。
これら、「敏感期のエネルギー」と「知性のエネルギー」の両方を十分に発揮させることが、「自律」を育てるうえで大切なんだそうです。
娘にはまだこうした行動は見られません。
むしろ、分類するよりもまぜこぜにする方が今は好きです。
これからいろいろと娘なりのこだわりが出てくるのでしょうが、それらの行動が「自律」に通じるものだと知ったら、わくわくしてきました。
子どものこだわりや一つの物に対する執着は、親から見るとちょっと面倒なもの。
でも、それらが子どもの「自律」や「自立」に通じるものだとわかると見方も変わります。
まだまだ小さいままでいて欲しいと思う気持ちもあるけれど、本書のおかげで娘のこれからの成長がますます楽しみになりました。
『子どもの目が輝くとき』の感想はこちら↓